やわのススメ
“やわ”とは?
このブログですが、見てらっしゃる方はほとんどいないと思いつつ
または本館に遊びに来て下さったついでに「本誌ネタとか書いてるかな?」と
見て下さった方がほとんどかと思いつつ
NARUTO妄想にあんまり関係がないので、「???」と去られるかと思います。
多分、前から来てくださっている方はあまりにも更新しないから見てないだろうし(笑)
ブログ書くより小説書けって気もしますが、本館は本館でちゃんと続けていきますので。
はい。たまに電池切れ起こしますが(笑)
自分の備忘録と頭の整理の為、少しこのまま続けさせていただきます。
その内どこかに引っ越すかも。飽きっぽい性格だから、いつまで続くかわからないし。
・・・の前提で、とりあえず、説明などしてみようかと思います。
まず、タイトルの『やわのススメ』。
「ヤワな男ね」ってよく聞く言葉と思います。
へなちょこ、気が弱い、頼りない、過保護・・・そんなイメージですね。
でも、ホツマだと、“やわ”は、“やわす(和す)”という意味になります。
“やわす”とは、やわらげる。平和にさせる。
聖徳太子の言葉に「和を以て貴しとなす」というのがあるのは良く知られてしますが
(聖徳太子が実在しなかったとか、その他諸々の説はとりあえず置いておいて)
私のイメージの“やわ”は、この“和”に近いです。
「和を以て貴しとなす」
って
「空気を読んでそれに合わせろ」
じゃないんですって。
「派閥とか宗教とか、そういうしがらみやこだわりを捨て、私心を捨てて、
公明正大に議論を尽くし、道理を(正しい道)を見つけていこう」
ということなんだそうです。
NARUTO風に言ったら、
「国とか里とかゴチャゴチャ言ってねえで、
大切な人を、世界を守るために、皆で力を合わせるんだってばよ!」
とかの台詞になってくるんですかね。(いや、スミマセン、すごい無理がありますが)
聖徳太子は憲法17条の中で言っているそうです。
「我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。」
(我は聖人ではなく、彼が愚人ということもない。共に凡人なのだ)
「お互いに凡人なのだから、どっちが正しいとか言い争うことをせずに
共に手を携える道を探していこう!」
って解釈なんだそうです。
聖徳太子みたいな非凡の天才にそんなこと言われてもなぁ、とも思いますが
まぁ素直に「ありがとう」と言いましょうよ。
天才である聖徳太子さんが、凡才の私に向かって「一緒に考えよう」と言ってくれてるのですから。
さて、漫画だと、わかりやすい悪役キャラ
例えば、大蛇丸とか、トビ、マダラ、カブトなんかですかね。
でも、彼らにも彼らの意見や正義があるわけです。
NARUTOは主人公のナルト目線で、ナルトが正義!みたいに描かれる。
でも、それ、本当に本当なの?
NARUTO は少年漫画なので、わかりやすい勧善懲悪で描かれてますが、
歴史で考えたら、どちらかが悪っていう決めつけは出来ないんじゃないかなと。
例えば、関ヶ原の合戦。
東軍の徳川家康と、西軍の石田三成。
どちらもそれぞれの正義で戦ってるわけです。
あれはどちらかというと、家康が悪者っぽい顔を見せていますが、
家康が勝利をおさめたことで築かれた江戸時代という平安を考えると正義になりますよね。
ま、でも最終的には
「勝てば官軍!」
ですね。
勝てば政権を握るから、歴史書改ざんなんかも簡単にできちゃう。
石田三成は超悪いヤツ!みたいに皆に思わせることも簡単です。
明治維新の薩長も同じですね。
そう言えば、西日本のある城に展示されていた巻物に描かれていた会津兵は物凄い悪者顔をしてましたよ。
いかにもーな、「ザ・賊軍!」
私は福島にも少し縁がある為、それを見た時は憤慨しましたね。なんじゃ、こりゃー!?って。
でも、逆に東日本の城には極悪面の薩長軍の絵が残ってるかも?
まぁ、それはさておき。
歴史の渦中にいると、どちらが正義かなんてわからないんです。
ただ、強い方が弱い方を治めていく。それは仕方のないこと。
でも、その時に“やわす”の精神があって欲しいなと思うのです。
強い方が弱い方を従えるのは歴史の流れ的に仕方ないにしても、
人道的に、弱者の存在や文化を尊重して共存していけたらいいなと思うのです。
今の世の中で言うと、
なんか納得のいかない選挙結果とか
テレビや新聞を使って言葉巧みに人心を操り、都合の悪いことは隠されたりとか
強者は弱者に対して、いくらでも思い通りに出来るのです。
世の中に、あれー?ってことはいっぱいあります。
で、その言い訳として
“大義(日本を守るため、とか、パニックを避けるため、とか)”を出されたりする。
でも、多分、それもある意味大きく間違っているわけでもないんでしょうね。
ただ、強者には常に“やわ”の精神を持って貰いたいな、と。
だって、戦勝者が敗戦者の首を取るかどうかは、
ある意味、強者の胸三寸で決まってしまうんですから。
私は漫画やアニメ、それもリアルなものではなく、
水戸黄門などや戦隊もの、勧善懲悪がわかりやすいものが好きです。
それは、そこに“やわ”の精神があるからです。
正義のヒーローが最終的に勝つのは当たり前。
でも、その時にヒーローが悪を許さずに徹底的に断罪したら?
それも相手が負けを認めているのに攻撃を続けたら?
それはなんかおかしいでしょ?
もし悪いことをしたなら、その罪を償う形を取って欲しい。
最終的に敵が死ぬにしても、最後に手を下すのは天罰、または自滅の形であって欲しい。
その展開が安心するんですね。
青年誌や史実とかで、リアルな人間心理や断罪シーンを書くのは構わないと思いますが
私はそういうのはほとんど読みません。特に救いのないものは。
だって、人を許さないのが当たり前だとは考えたくないから。
なんて、色々書きましたが、それも人それぞれですよね。
『図書館戦争』の有害図書ではないですが、
色々なものを読んで、色々なことを感じて欲しい。
たくさん読んで悩んだ結果、選択するのが“やわ”の道であって欲しい。
それが私の願いです。
そう、私は“やわ”をもっと広げたいなぁと思ってブログを書いています。
私が本館で書いてる駄文も同じです。
読んだ人が何か安心出来る、優しい気持ちを持てるような
(そんな風に書けていないのは承知しつつ)、一応それを目標にしています。
聖徳太子の話に戻りますが、聖徳太子と言うと蘇我氏と一緒に仏教を広めた人、
というイメージがありますが、どうやら「神仏習合」も行なっていたようなのです。
神仏習合とは、神様(神道)と仏様(仏教)の平和的融合。
まぁ、神仏習合に関しては、もっと色々と深い話のようなので、
とりあえず、意見の違うものを融合させたっていう簡単解釈で終わらせてください。
意見が違ったっていいじゃない。
神様が違ったっていいじゃない。
正月に神社に初詣に行き、
バレンタインには愛のプレゼント、
おひな祭りをやって、こどもの日を祝って
夏はお盆休みでお寺にお墓参りして
秋はお月見、収穫祭。
ハロウィンやったり、クリスマスパーティーやったり。
子供が生まれたら神社でお宮参りして、
七五三に成人式。
死んだらお坊さん呼んでお経。
それで、いいんじゃないでしょうか?
違うものを認めて、うまーく今までのものと融合させていく。
排他的、狭量、島国根性とも言われる日本ですが、
ちゃんと融合出来ていますよ。
というワケで、『やわのススメ』では、
しがらみや固定概念からの解放を目指しつつ
それにNARUTOやその他の漫画の世界観の勝手な解釈を付け加え、
やわー、と和す(やわす)、幸せの道を模索していきたいと思っております。
